2011年12月24日
修理とか、生き方とか。
まだまだこれから。
すべきこと、しなければいけないことはたくさんあります。
忘れないこと、続けることです。
がんばろう日本!
クリスマスイブだ。
しかし、クリスマスイブとはまったく関係ない話である。
調子が悪かった車のスピーカー。
低音でのビビリがひどく、聞くに堪えない状態になってきた。
先日、和田コーチに内張りを外してもらった時に
スピーカーの破損ではなく、内張りがビビッていることは確認済み。
しかし時間が無く、そこから先は手付かずだった。
ネットで調べてみると、デッドニングなる手法で直るらしい。
ドアのパネルに防音材を張り巡らす方法らしく、
デッドニングのキットも販売されている。
とはいえ、そこまで手間もお金も掛ける気になれず、
ようは振動が止まればいいのだろうと、
ホームセンターでスポンジとドア用の隙間テープを購入。
締めて600円ちょっとである。
内張り外しの方法がよく分からないので、
カー用品店のオーディオコーナーにあった
パンフレットをもらってきた。
もちろんタダである。
ということで、作業開始。
内張りを外す・・・はずなのだが、最後の部分が外れない。
中は覗けるが、ドアパネルと分離できない。
こりゃ困った。
さて、どうしよう。
ということで、荒業。
買ってきたスポンジを隙間にギュウギュウ詰め込んだ。
そして無理やり内張りを元に戻した。
音楽をかけてみる。
おっ!直った。
ビビリはほぼ解消。
隙間テープは使わなかったから、300円くらいで直った計算だ。
安っ!
良かった、良かった。
さて、こんな話を聞いた。
ある人が、とてもなりたいポジションがあって、
そこに就くために、色んなこと(時間や家族かな)を犠牲にして、
力(権力)のそばに寄り添って、長い間頑張って仕事をしていた。
それは周囲から見ていても、「~になりたくて仕方ないのだな」と
誰もが分かるほどのものだったそう。
そしてその人は、念願叶ってようやくその地位に就けた。
しかしその数ヵ月後、ある病気が見つかった。
それはかなり末期のもので、すぐに病床に伏すことになってしまった。
せっかく就けたそのポジションだけでなく、
生命も危ぶまれる状態になってしまった。
さぞかし悔しく、無念な思いだろう。
短い期間でも、その思いを成就できたから良しとするのか、
返って辛いのか、それぞれの捉え方だから、何とも言えないが、
やっぱり悔しく辛いだろうなと思う。
その方のお話とは別だが、今年も色んな方が亡くなった。
どんな素晴らしい人も、どんな悪いヤツも、
どんなに権力があっても、亡くなってしまえば皆同じだ。
ワタクシだって、いつ死ぬか分からない。
ある日突然死んでしまうかもしれない。
悲しんでくれる人もいるだろうが、
それもいつかは薄れ、忘れられていくだろう。
そんなことをグルグルと考えながら、
やっぱり今をどうするかなんだろうなと思った。
ボーっとしていたら、人生はあっという間だ。
毎日、悔いの無いように過ごしたいなと思う。
正しいことを正しく、ウソをつかず手を抜かず、
自分の納得いくように過ごしたい。
前述の話ではないが、ワタクシ、偉くなりたいとか、
誰もが認める存在になりたいとか、そういう思いはまったく無い。
そういうことを考えながら生きてると疲れてしまうから。
自分の納得いく仕事が出来て、
誰かに喜んでもらえればそれで良い。
ポジション云々はどうでも良い。
むしろ足枷になるのならポジションは要らない。
あいや、別に現在も特にポジションは無いのだけど。
正直言えば、若かりしころは「偉くなりたい」と思っていた。
正しくは、「力が欲しい」というところだろうか。
自分が思う、良いことを実行するためには
ポジションという力があれば、もっと良く、もっと早く出来ると思っていたからだ。
ある面、それは正解だったようにも思うし、
別の面では関係無いようにも思う。
ある程度のポジションから発信すれば、確かにスピードは速い。
ただし、魂を入れることを端折ってしまうと続かない。
そこだけはポジションや即席では実現しないのだと思った。
そしてそれ以前に、それに耳を傾けてもらえる環境と関係性も大事だと思う。
まあ、何にせよ、大事なことは、毎日をどう生きるかってこと。
自分にも周囲にもウソをつきながら、歪んだ我慢をしながら
生きていくことはしたくない。
大仰に構えることはないが、小さくでも誰かの役に立ったり、
誰かに喜んでもらえればそれでいいかなと思う。
まずは身近な人たちである、家族、仕事仲間、
お客様との関わりの中で、ひとつずつ実現しよう。
ああ、まとまりがなくなってしまった。
まあ、適当&無責任がラケットを振っているような人間も
年に1度くらいはそんなことも考えるのだという話だ。