2010年08月27日
打ち上げとか、懐かしラケットとか。
一昨日、(社)日本テニス事業協会で会議。
長らく関わっていた案件が、ようやくひと段落した。
皆様、大変お疲れ様でした。
ということで、打ち上げ。
ご覧の通り、まだ外は明るいのだが。
委員長のK社長と、某大手チェーンのSさん、
そしてブログネタを撮影するDRK(ダーク)さんの手。
結構飲んだ気がする。
ビールの後、角瓶を2本空けたような・・・
2次会はいつもの栄寿司。
DRK(ダーク)さんの会社のSさんとKさんと合流。
久し振りに一緒に飲みたくて、呼び出してもらったのだ。
で、いつもの「泣けるシリーズ」
泣いてる
ここでも結構飲んだ気がする。
よく憶えてないけど。
ほろ酔いで栄寿司を出た。
帰ろうと思ったのだが、誰かが「ワイン1杯だけ飲みましょう」と言った。
以前、DRKさんと行ったバーへ。
「1杯だけ」が、「1本だけ」に変わっていた。(苦笑)
ほろ酔いを少し超えた感じで帰宅の途に。
iPhoneアプリで電車の時間を調べたら、
最寄駅ではない乗り換え無しのルートが出た。
指示の駅で降りるも、もうバスが無かった。
仕方がないので歩いて帰った。
真夜中に50分も歩いてしまった。
でも、楽しい夜だった。
ところで、どうやら周囲の人は、ワタクシとDRKさんは
週1回くらいのペースで会っている(飲んでる)と思っているらしい。
実は全然そんなことは無い。
この日も1ヶ月ぶりくらいだったと思う。
そんなに飲んでばかりじゃないのだ。
(と、誰にともつかず念を押しておく)
さて、懐かしラケットだ。
今はもう無いメーカーである。(たぶん)
ESTUSA
正式なモデル名は分からない。
エスチューサと言えば、ボリス・ベッカーが
PUMA社のラケットから乗り換えたメーカーである。
メーカーが変わったが、PUMAのラケットソックリなつくりに
えげつなさをというか、大人の事情を感じた人も多かったろう。
そんなわけで、ESTUSA社のラケットには
ベッカーのシグネーチャーモデルが多いのだが、
このラケットにはベッカーの名前は無かった。
そういう意味では逆に珍しいモデルなのかもしれない。
当時、どこのテニスコートでも、エレッセのウェアを着て、
このラケットでベッカーソックリの少し厚めのグリップとフォームで、
やたらとサービスを強く打っている人をたくさん見る事が出来たものだ。
何を隠そう、このワタクシも一時、真似をしてみたが、
どうにも大味なラケットで、結局馴染むことが
出来なかったのを憶えている。
まあ、腕がついていかなかったってことなんだけど。
ちなみにESTUSAは、ミスターテニスこと、
ジミー・コナーズも契約していた。
コナーズの黄色のESTUSAはカッコ良かったっけ。
こちらは使ったことは無かったが、普通に売ってたのかな?
今後はこの頃のように新しいメーカーが出現するのって
難しいような気がする。
良い時代だったのかもしれないな。
長らく関わっていた案件が、ようやくひと段落した。
皆様、大変お疲れ様でした。
ということで、打ち上げ。
ご覧の通り、まだ外は明るいのだが。
委員長のK社長と、某大手チェーンのSさん、
そしてブログネタを撮影するDRK(ダーク)さんの手。
結構飲んだ気がする。
ビールの後、角瓶を2本空けたような・・・
2次会はいつもの栄寿司。
DRK(ダーク)さんの会社のSさんとKさんと合流。
久し振りに一緒に飲みたくて、呼び出してもらったのだ。
で、いつもの「泣けるシリーズ」
泣いてる
ここでも結構飲んだ気がする。
よく憶えてないけど。
ほろ酔いで栄寿司を出た。
帰ろうと思ったのだが、誰かが「ワイン1杯だけ飲みましょう」と言った。
以前、DRKさんと行ったバーへ。
「1杯だけ」が、「1本だけ」に変わっていた。(苦笑)
ほろ酔いを少し超えた感じで帰宅の途に。
iPhoneアプリで電車の時間を調べたら、
最寄駅ではない乗り換え無しのルートが出た。
指示の駅で降りるも、もうバスが無かった。
仕方がないので歩いて帰った。
真夜中に50分も歩いてしまった。
でも、楽しい夜だった。
ところで、どうやら周囲の人は、ワタクシとDRKさんは
週1回くらいのペースで会っている(飲んでる)と思っているらしい。
実は全然そんなことは無い。
この日も1ヶ月ぶりくらいだったと思う。
そんなに飲んでばかりじゃないのだ。
(と、誰にともつかず念を押しておく)
さて、懐かしラケットだ。
今はもう無いメーカーである。(たぶん)
ESTUSA
正式なモデル名は分からない。
エスチューサと言えば、ボリス・ベッカーが
PUMA社のラケットから乗り換えたメーカーである。
メーカーが変わったが、PUMAのラケットソックリなつくりに
えげつなさをというか、大人の事情を感じた人も多かったろう。
そんなわけで、ESTUSA社のラケットには
ベッカーのシグネーチャーモデルが多いのだが、
このラケットにはベッカーの名前は無かった。
そういう意味では逆に珍しいモデルなのかもしれない。
当時、どこのテニスコートでも、エレッセのウェアを着て、
このラケットでベッカーソックリの少し厚めのグリップとフォームで、
やたらとサービスを強く打っている人をたくさん見る事が出来たものだ。
何を隠そう、このワタクシも一時、真似をしてみたが、
どうにも大味なラケットで、結局馴染むことが
出来なかったのを憶えている。
まあ、腕がついていかなかったってことなんだけど。
ちなみにESTUSAは、ミスターテニスこと、
ジミー・コナーズも契約していた。
コナーズの黄色のESTUSAはカッコ良かったっけ。
こちらは使ったことは無かったが、普通に売ってたのかな?
今後はこの頃のように新しいメーカーが出現するのって
難しいような気がする。
良い時代だったのかもしれないな。