2009年11月23日
懐かしラケット HEAD Vilas
先日のHEADのPの試打。
HEADのK氏とは別の約束があった。
会社に保存してある懐かしいラケットを見せてもらうのだ。
これこれ。
懐かしい「HEAD」じゃない「Head」のロゴ。
シャフト部にはモデル名。
そう、「Vilasモデル」なのだ。
ギレルモ・ビラスといえば、グランドスラム4勝の成績を誇り、
ボルグやコナーズなどの世代に活躍したアルゼンチンの名プレーヤー。
ぶっとい腕のサウスポーでグリグリのトップスピンを打つ。
このビラスの名を関したのが、このHEAD「Vilas」なのだ。
HEADラケットは、数々の名プレーヤーが使用した名ブランド。
しかし、意外なことに選手名を冠したシグネーチャーモデルは
ほとんど発売されていない。
K氏によると、このビラスとアーサー・アッシュくらいだろうとのことだ。
それだけ、ビラスという選手はHEADにとって大きな存在だったのだろう。
余談だが、後年ビラスはプーマ社のラケットを使用する。
その後、プーマ社のラケットはあのボリス・ベッカーの
ウインブルドン優勝で一気にメジャーになるのだが、
その時ベッカーが使ってい銀色のラケットは
まだビラス名の入ったモデルだったらしい。
(その後、ベッカーモデルになる)
さて、HeadのVilasに話を戻す。
このラケット、完全新品のデッドストック。
グリップにはまだテープが巻いてある。
保障マークには、当時HEADブランドを扱っていた「大沢商会」のロゴ。
グリップサイズは「4・3/8 L」、今で言う「G3」かな。
「L」はウエイト、「ライト」という意味。
懐かしい表記だ。
AMFのロゴは大沢商会関係の意味だったっけ?
スロート内側の合板の層が美しい。
ヘッドのグロメット部には溝が切ってあり、
磨耗によるストリング切れを防止する。
当時、オープンスロートのラケットは珍しかった。
MIZUNOのDavisCupか、HEADのアーサーアッシュコンペくらい。
構造が複雑でコストが掛かるのか、多くは1本スロートのウッドだった。
販売価格は、22,000円か24,000円だったと思う。
国産ウッドラケットのフタバヤ・ゴールデンショットが
7,000円くらいだったから、恐ろしく高かった。
当然ながら、ワタクシは使ったことはない。
というか、とても買える値段じゃなかった。
よって、試打感などの思い出は無い。
唯一の思い出といえば・・・
同じテニス部に温泉旅館の(どら)息子がいた。
京都への修学旅行の時、自由外出から帰ってきたら、
そいつがこのラケットを2本買って帰ってきた。
京都の修学旅行での買い物といえば、普通は新京極で
サングラスか木刀を買うだろうに(そうか?)、
コイツは4万円オーバーをはたいてラケットを買ってきたのだ。
そんな(どら)息子のラケットを横目で見て、
「テニスは道具じゃねえんだよ」と心の中で思った。
いや、実際口に出して、ソイツに言ったような気もする。
もちろん、そいつには3年間、一度も負けたことは無い。
元気に旅館を継いでるのかな。
かくいうワタクシも、まとまった小遣いを手にしたウレシさで
繁華街には目もくれず、テニスショップに行って
セルジオ・タッキーニのポロシャツと短パンを買った。
マッケンローやゲルライテスが着ていたヤツだ。
たしか、ポロが12,000円、短パンが10,000円くらいだった。
当然、旅行の小遣いはスッカラカン、何もオミヤゲを買わずに帰ったっけ。
とまあ、ウンチクも何の知識も無い、そんな思い出のラケットだ。
HEADのK氏とは別の約束があった。
会社に保存してある懐かしいラケットを見せてもらうのだ。
これこれ。
懐かしい「HEAD」じゃない「Head」のロゴ。
シャフト部にはモデル名。
そう、「Vilasモデル」なのだ。
ギレルモ・ビラスといえば、グランドスラム4勝の成績を誇り、
ボルグやコナーズなどの世代に活躍したアルゼンチンの名プレーヤー。
ぶっとい腕のサウスポーでグリグリのトップスピンを打つ。
このビラスの名を関したのが、このHEAD「Vilas」なのだ。
HEADラケットは、数々の名プレーヤーが使用した名ブランド。
しかし、意外なことに選手名を冠したシグネーチャーモデルは
ほとんど発売されていない。
K氏によると、このビラスとアーサー・アッシュくらいだろうとのことだ。
それだけ、ビラスという選手はHEADにとって大きな存在だったのだろう。
余談だが、後年ビラスはプーマ社のラケットを使用する。
その後、プーマ社のラケットはあのボリス・ベッカーの
ウインブルドン優勝で一気にメジャーになるのだが、
その時ベッカーが使ってい銀色のラケットは
まだビラス名の入ったモデルだったらしい。
(その後、ベッカーモデルになる)
さて、HeadのVilasに話を戻す。
このラケット、完全新品のデッドストック。
グリップにはまだテープが巻いてある。
保障マークには、当時HEADブランドを扱っていた「大沢商会」のロゴ。
グリップサイズは「4・3/8 L」、今で言う「G3」かな。
「L」はウエイト、「ライト」という意味。
懐かしい表記だ。
AMFのロゴは大沢商会関係の意味だったっけ?
スロート内側の合板の層が美しい。
ヘッドのグロメット部には溝が切ってあり、
磨耗によるストリング切れを防止する。
当時、オープンスロートのラケットは珍しかった。
MIZUNOのDavisCupか、HEADのアーサーアッシュコンペくらい。
構造が複雑でコストが掛かるのか、多くは1本スロートのウッドだった。
販売価格は、22,000円か24,000円だったと思う。
国産ウッドラケットのフタバヤ・ゴールデンショットが
7,000円くらいだったから、恐ろしく高かった。
当然ながら、ワタクシは使ったことはない。
というか、とても買える値段じゃなかった。
よって、試打感などの思い出は無い。
唯一の思い出といえば・・・
同じテニス部に温泉旅館の(どら)息子がいた。
京都への修学旅行の時、自由外出から帰ってきたら、
そいつがこのラケットを2本買って帰ってきた。
京都の修学旅行での買い物といえば、普通は新京極で
サングラスか木刀を買うだろうに(そうか?)、
コイツは4万円オーバーをはたいてラケットを買ってきたのだ。
そんな(どら)息子のラケットを横目で見て、
「テニスは道具じゃねえんだよ」と心の中で思った。
いや、実際口に出して、ソイツに言ったような気もする。
もちろん、そいつには3年間、一度も負けたことは無い。
元気に旅館を継いでるのかな。
かくいうワタクシも、まとまった小遣いを手にしたウレシさで
繁華街には目もくれず、テニスショップに行って
セルジオ・タッキーニのポロシャツと短パンを買った。
マッケンローやゲルライテスが着ていたヤツだ。
たしか、ポロが12,000円、短パンが10,000円くらいだった。
当然、旅行の小遣いはスッカラカン、何もオミヤゲを買わずに帰ったっけ。
とまあ、ウンチクも何の知識も無い、そんな思い出のラケットだ。
投稿者 Malt 05:40 | コメント(0)| トラックバック(0)
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