昔の話 その7
先日、Ken’sウェアの歴史なぞを載せたので、また昔の話でも。
(昔の話をするってことは、ネタが無いってことです)
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テニスの実力はともかく、先輩に連れて行ってもらった女子高テニス部の
お姉さま方に可愛がってもらったり(変な意味じゃないよ)と、
それなりに楽しい高校テニス部生活を送っていたワタクシ。
女子高とはいえ、強豪校なんかだとやはり上下関係は厳しいようで、
一年生はそうそう先輩とは気軽に話しなんぞは出来ないらしい。
そこに他校、しかも男子一年が(彼女たちにとっては)鬼より怖い先輩に
可愛がられているのは、どうにも複雑だったみたい。
その女子高の一年生から影でつけられていたあだ名、「お気に入り」だって。
後年知りました。
女は怖いな。
当時、ラケットは当然ウッドの時代。
メーカーはカワサキとかフタバヤなどの国産が主流。
ようやく、ヤマハやヨネックスのグラスファイバー製が出てきた頃。
ワタクシはカワサキのウッド派。
ヘタクソでも力だけはある高校生、
結構折れたりするし、当然1本じゃ足りない。
バッグに4~5本突っ込んでました。
本当に5~6本必要だったのかというと、
多分、2~3本もあれば十分だったんだと思う。
テニスマガジンなんかに載っているプロの写真を見ると、
福井さんも神和住さんも5~6本のラケットを抱えてるわけ。
ボルグにいたっては、10数本のラケットを抱えてコートに入ってくる。
何事も形から入るワタクシ、まずはそこからマネをした。
そんなわけで、実力に不相応な数のラケットを抱えた
高校一年生が出来上がったわけ。
ウェアも当時は国産が主流。
カワサキのDEFIとかWreath。
これは強豪柳川高校が毎年揃えていた。
あとはフレッド・ペリーとかジョン・ニューカム、ラコステという
海外ブランドの国内ライセンス生産もの。
円も安かったし、マッケンローのセルジオ・タッキーニや
ボルグのFILAなんかは高嶺の花。
全国大会や雑誌・TVなんかを観ると、どうやら強い選手は
試合毎にウェアを着替えるらしいということが分かった。
田舎の高校テニス部は、1枚のウェアで一日中練習するし、
大会だって、家に帰ったらすぐに洗濯して、
次の日も同じウェア着て試合してましたから、
これはまた驚いたというか、マネしたくなった。
そこで、なけなしのお小遣いをはたいて、ウェアを追加購入。
試合ごとに着替えることにした。
その後、この形から入る性格は変わらず、
TVで観たタッキーニやエレッセがどうにも欲しくてたまらない。
国産のポロシャツは5,000円くらいだったけど、
エレッセのポロシャツは16,000円くらい、
タッキーニは12,000円くらいかな。
とんでもない値段でした。
しかもワタクシの住んでいた福島県では売っていないし。
そこでお小遣いためて、東北本線に乗って遥々行きましたよ、池袋のウインザー。
エレッセのポロシャツだけ買って帰ってきました。
修学旅行で行った京都では、自由時間にテニスショップへ直行。
修学旅行のお小遣いすべてをつぎ込んで、
マッケンローの着ていたタッキーニのウェアを買いました。
生意気だったでしょうね。
高校生がエレッセやタッキーニ着替えながら試合してるんですから。
メッチャ強けりゃまだしもねぇ。
そこで前述の女子高テニス部連中から
次についたあだ名が「七面鳥」だって。
・・・上手いこと言うなぁ。