2010年09月06日
信じるな、引くな(業務連絡)
帰宅。
この日は子供がまだ起きていた。
荷物を置いて、思わずため息。
「ふぅ・・・」
と、8歳児。
「おとうちゃん、お帰り♪ どうした?シャチョウにしぼられた?」
「えっ?いや、別に絞られてないよ」
「じゃあ、ヤクインにしぼられた?」
シャチョウとか、ヤクインとか、どこで覚えるんだろう。
「しぼられた」ってのも、どこで仕入れたのだ?
ちなみにワタクシ、ボスにしぼられた覚えっていうか、
そういう認識は無い。
多大なるプレッシャーは365日感じてるけどね。
小さな頃、盲目的に信じるものがたくさんあった。
新聞はウソを書かないって思ってた。
テレビはウソを流さないって信じてた。
でも、どっちもたくさんウソをつくことに気付いた。
学校の先生は間違ったことは言わないって信じてた。
小学校3年生の時の女性教師は、
忘れ物をした男子をパンツ一丁で廊下に立たせた。
いたずらをした男子の手をものさしで、これでもというくらい叩いた。
宿題は19時のNHKニュースのアナウンサーの言葉を
一字一句漏らさずメモすることだった。
ビデオも無い時代、当然そんなことは無理だった。
でも、先生が間違ったことを言うわけが無いと、
必死でアナウンサーの言葉をメモした。
親は決して間違ったことを言わないって信じてた。
でも、どうも違うな、親も間違うんだなって思った。
でもそれが普通なんだって、自分が親になって知った。
小学校の時、「ユダヤの商法」という本に出合った。
日本マクドナルドの創設者、藤田田氏の書いた本だ。
なぜだか分からないが、何度も繰り返し読んだ。
そこには、「ユダヤ人は人に完璧を求めない」と書いてあった。
どんな人格者でも、聖職者でも間違いはある。
人間である限り、完璧を求めてはいけない。
6割くらい正解ならOKだみたいなことが書いてあった。
ユニクロの柳井さんの著書のタイトルは「一勝九敗」。
柳井さんにして1割打者である。
まあ、本当に一割打者だとは思わないが。
つまりは、人間10割打者はいないってこと。
完璧な解を出し続けられる人間はいないってことだ。
だから、会社のトップや上司を盲目的に信じてはいけない。
信じるなということではない。
「盲目的に」信じてはいけないってことだ。
トップも間違いはある。(と思う)
事実、ワタクシ自身感じるだけでも、トップだからとっいって
やはり100%の正解率じゃないと思う。
「そりゃ、違うんじゃないかな」と思うことは確実にある。
そしてそう思ったら、ぶつけてみることにしている。
もちろん、自分なりに熟考に熟考を重ねてからだ。
それでもやはりおかしいと思ったら、その疑問をぶつける。
「やはりおかしいと思います」
「納得いきません」
結果、自分が間違っていることもある。
自分とは違う立場にいるトップの判断だから、
もっと高所大局からの判断をしていて、
自分には思い及ばなかったこともある。
反対に、「そうだね」と認めてもらうこともある。
自分なりの得意分野からの見方を認めてもらったということである。
だから、ワタクシはトップダウンの指示でも
そのまま丸呑みをしないようにしている。
「ボスが言ってるんだから、間違いないだろう」
ということは無い。
信頼していないわけではない。
必ず自分の価値観、判断というフィルターを通し、
心から納得して動きたいからだ。
その結果、納得できないことは反対意見を述べる。
反対意見ぶつける時は、ある程度の覚悟を持つ。
その案件の重要度にもよるが、
最悪は会社を去ることになるかもしれないとの
覚悟を持って意見を言うこともある。
でも、それを言わないことは悪だと思うから、
どんなふうに思われようが、
それによってどんな処遇を受けるか分からなくても
やはり意見は言う。
結局、まだこの場所にいられるということは、
それによって変なことにはなっていないということ。
根本に流れているのが、「ここをもっと良くするため」という
考えであることがある限り、文句ではなく意見になるからだと
勝手に思い込んでいるが、
実はトップの懐の深さだけなのかもしれない。
歳が上とか、ポ゚ジションが上だからといって、
間違った判断をしないということは無い。
人間は100%の正解を出すことは難しい。
もちろん年齢による経験の多さや、
立場による情報や視野の違いはあるから、
より正解に近いということはあるかもしれない。
ただそれでも10割は無い。
そしてそこに意見が出る組織であることが重要。
一番怖いのは、「ボスが言ったなら従うしかない」とか、
「Maltさんが言ったなら間違いないだろう」とか、
「ちょっと違うと思うけど、上に言われたからやるか」
なんてこと。
疑問を持たない、意見を飲み込むことはチームの命取りになる。
分からなかったら、根本の考え方を聞けば良い。
納得いかなかったら、「納得させてください」と言うべき。
それをしないことに慣れてしまうと、思考停止に陥ってしまう。
言われたことだけ、言われた範囲だけしか出来ない頭になってしまう。
盲目的に信じ、丸呑みしてはいけない。
まずは一度、自分の頭で考えること。
自分の意見を持つこと。
そしてそれをトップにも、上司にもぶつけること。
結果はどうであれ、そこから見えるものは自分の財産になる。
ワタクシの正解打率は6割どころか、3割切っているかもしれない。
頑張って答えを出すけど、そんなものかもしれない。
「信じること」と「盲目的に信じること」は天と地ほど違う。
そして意見の通らない風通しの悪い組織にもしたくない。
周囲の顔色なんかを伺うヒマがあったら、考え、意見をぶつけあおう。
それが良いチームをつくると思うのだけど。
という、業務連絡でした。
関係ない皆様、長々とスミマセン。
この日は子供がまだ起きていた。
荷物を置いて、思わずため息。
「ふぅ・・・」
と、8歳児。
「おとうちゃん、お帰り♪ どうした?シャチョウにしぼられた?」
「えっ?いや、別に絞られてないよ」
「じゃあ、ヤクインにしぼられた?」
シャチョウとか、ヤクインとか、どこで覚えるんだろう。
「しぼられた」ってのも、どこで仕入れたのだ?
ちなみにワタクシ、ボスにしぼられた覚えっていうか、
そういう認識は無い。
多大なるプレッシャーは365日感じてるけどね。
小さな頃、盲目的に信じるものがたくさんあった。
新聞はウソを書かないって思ってた。
テレビはウソを流さないって信じてた。
でも、どっちもたくさんウソをつくことに気付いた。
学校の先生は間違ったことは言わないって信じてた。
小学校3年生の時の女性教師は、
忘れ物をした男子をパンツ一丁で廊下に立たせた。
いたずらをした男子の手をものさしで、これでもというくらい叩いた。
宿題は19時のNHKニュースのアナウンサーの言葉を
一字一句漏らさずメモすることだった。
ビデオも無い時代、当然そんなことは無理だった。
でも、先生が間違ったことを言うわけが無いと、
必死でアナウンサーの言葉をメモした。
親は決して間違ったことを言わないって信じてた。
でも、どうも違うな、親も間違うんだなって思った。
でもそれが普通なんだって、自分が親になって知った。
小学校の時、「ユダヤの商法」という本に出合った。
日本マクドナルドの創設者、藤田田氏の書いた本だ。
なぜだか分からないが、何度も繰り返し読んだ。
そこには、「ユダヤ人は人に完璧を求めない」と書いてあった。
どんな人格者でも、聖職者でも間違いはある。
人間である限り、完璧を求めてはいけない。
6割くらい正解ならOKだみたいなことが書いてあった。
ユニクロの柳井さんの著書のタイトルは「一勝九敗」。
柳井さんにして1割打者である。
まあ、本当に一割打者だとは思わないが。
つまりは、人間10割打者はいないってこと。
完璧な解を出し続けられる人間はいないってことだ。
だから、会社のトップや上司を盲目的に信じてはいけない。
信じるなということではない。
「盲目的に」信じてはいけないってことだ。
トップも間違いはある。(と思う)
事実、ワタクシ自身感じるだけでも、トップだからとっいって
やはり100%の正解率じゃないと思う。
「そりゃ、違うんじゃないかな」と思うことは確実にある。
そしてそう思ったら、ぶつけてみることにしている。
もちろん、自分なりに熟考に熟考を重ねてからだ。
それでもやはりおかしいと思ったら、その疑問をぶつける。
「やはりおかしいと思います」
「納得いきません」
結果、自分が間違っていることもある。
自分とは違う立場にいるトップの判断だから、
もっと高所大局からの判断をしていて、
自分には思い及ばなかったこともある。
反対に、「そうだね」と認めてもらうこともある。
自分なりの得意分野からの見方を認めてもらったということである。
だから、ワタクシはトップダウンの指示でも
そのまま丸呑みをしないようにしている。
「ボスが言ってるんだから、間違いないだろう」
ということは無い。
信頼していないわけではない。
必ず自分の価値観、判断というフィルターを通し、
心から納得して動きたいからだ。
その結果、納得できないことは反対意見を述べる。
反対意見ぶつける時は、ある程度の覚悟を持つ。
その案件の重要度にもよるが、
最悪は会社を去ることになるかもしれないとの
覚悟を持って意見を言うこともある。
でも、それを言わないことは悪だと思うから、
どんなふうに思われようが、
それによってどんな処遇を受けるか分からなくても
やはり意見は言う。
結局、まだこの場所にいられるということは、
それによって変なことにはなっていないということ。
根本に流れているのが、「ここをもっと良くするため」という
考えであることがある限り、文句ではなく意見になるからだと
勝手に思い込んでいるが、
実はトップの懐の深さだけなのかもしれない。
歳が上とか、ポ゚ジションが上だからといって、
間違った判断をしないということは無い。
人間は100%の正解を出すことは難しい。
もちろん年齢による経験の多さや、
立場による情報や視野の違いはあるから、
より正解に近いということはあるかもしれない。
ただそれでも10割は無い。
そしてそこに意見が出る組織であることが重要。
一番怖いのは、「ボスが言ったなら従うしかない」とか、
「Maltさんが言ったなら間違いないだろう」とか、
「ちょっと違うと思うけど、上に言われたからやるか」
なんてこと。
疑問を持たない、意見を飲み込むことはチームの命取りになる。
分からなかったら、根本の考え方を聞けば良い。
納得いかなかったら、「納得させてください」と言うべき。
それをしないことに慣れてしまうと、思考停止に陥ってしまう。
言われたことだけ、言われた範囲だけしか出来ない頭になってしまう。
盲目的に信じ、丸呑みしてはいけない。
まずは一度、自分の頭で考えること。
自分の意見を持つこと。
そしてそれをトップにも、上司にもぶつけること。
結果はどうであれ、そこから見えるものは自分の財産になる。
ワタクシの正解打率は6割どころか、3割切っているかもしれない。
頑張って答えを出すけど、そんなものかもしれない。
「信じること」と「盲目的に信じること」は天と地ほど違う。
そして意見の通らない風通しの悪い組織にもしたくない。
周囲の顔色なんかを伺うヒマがあったら、考え、意見をぶつけあおう。
それが良いチームをつくると思うのだけど。
という、業務連絡でした。
関係ない皆様、長々とスミマセン。
投稿者 Malt 05:30 | コメント(0)| トラックバック(0)
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