実家は宝箱
先週末、帰省した。
菊地コーチ・旭コーチ・澤村コーチと結構飲んで、
そのままベッドに倒れこんで。
でも、いつものように早起きして、少し頭が痛かったけど、
朝の仕事を済ませて、300km先に向けて車を走らせた。
実家に帰ると、家がリフォームされてた。
なんとかっていう、薪ストーブまで出来てた。
このストーブの裏には、小上がりみたいな畳のスペースがあるし、
いったいどこの国をイメージしてリフォームしたのだ?
このリフォームのおかげで、人知れずそっと保存しようと
かつて置いてきたワタクシの荷物が陽のあたる場所に
押し出されていた。
母親からの「ウチは倉庫じゃないので、持って帰るように!」
との指令を聞こえないふりでかわしながらも、
懐かしい荷物たちを開けてみた。
他人から見ればゴミというか、ガラクタであることは間違いないのだが、
ワタクシにとっては懐かしい思い出の数々が発掘された。
ワタクシが死んだ時に棺桶に入れてもらおうと思って、
とっておいたが、この膨大な量は入りきらないし、
家ごと燃やさなければ、一緒に天国(地獄?)へ持って行くのは
無理だろうと思った。
まず、なんとも懐かしいラケットケースが出てきた。
プロケネックスのツアーケース。
現在の”プロケネックス・ジャパン”じゃなくて、
ゴーセンが取り扱っていたころのもの。
今と違って、ラケット以外は入らないシルエット。
奥の大きな方は簡単に開いたが、手前のケースはファスナーが
壊れていてなかなか開かない。
仕方が無いので、カッターで切り開いた。
出てきたものは、これまた懐かしいラケット。
カワサキが4本。
高校時代に愛用していたモデルだった。
モデル名は、”Jun Kamiwazumi”
神和住純プロのモデル。
ごつくて硬いシャフトの頼りになるラケットだった。
多分、20本くらいは使ったと思う。
手前の2本はサイン入り。
後に、サインがなくなった。
契約の関係なのだろうか?
そして、ついに生産中止に。
このラケット以外考えられなかったワタクシは、
どこかに在庫が無いかと探し回った。
結果、見つかったのが、一番奥のこれ。
ボルグらの全盛時代を反映してか、ダブルハンド仕様。
すぐそこに、新素材革命の足音が迫っていた。
ワタクシ、最後のウッドラケットだったと思う。
そして、非常にレアはラケットカバー。
当時は”ラケットケース”でなく、”カバー”と呼んでいた。
福島インターハイの記念カバーだ。
サインは福井プロのもの。
柳川商業高校(現 柳川高校)の応援に来ていた
福井プロに無理やりサインしてもらった。
テニス選手ではじめてサインをもらったのが
福井プロということになる。
時代は福井プロ全盛期に差し掛かっていて、
まさに神様のような存在だった。
サインはあるけれど、緊張していたのが、
書いてもらった時のことをまったく思い出せない。
そんな福井プロに、ワタクシごときが顔を覚えていただいて、
声を掛けてもらえるようになるとは、世も末だと思った。
さらにラケットケースを探ると、こんなラケットが。
プロケネックス
で、”シルバーエース”というモデル。
年代が近い方は分かると思うが、シルバーエースに
このカラーリング設定は無い。
たしか、”シルバー”と言いながら、白いフレームだったと思う。
スロートの反対側にこのラケットの秘密がある。
TTP(TAMURA TENNIS PLANNING)の刻印。
以前の会社名、”タムラ テニスプランング株式会社”の
オリジナルラケットなのだ。
記念すべき、会社初のオリジナルもの。
実はワタクシ、ちょうどこのラケットが完成した時に入社した。
初出勤の日、ボスから、
「ラケット、何使ってるの?」
と聞かれ、HEADのグラファイトプロを見せると、
「ウチはケネックスだから、これあげるよ」
と渡されたのが、このラケットだった。
今までどこのメーカー契約も無かったワタクシは、
出社した途端にいきなり新品のラケットをもらって驚いた。
しかも会社オリジナルのラケットだなんて、
なんて良い会社に入ったんだろうと感動したのを覚えている。思えば、これが間違いの始まりだった。(ウソです、ウソ)
まあ、そんな思い出のラケットたちに続いて、
あれやこれやと次々に出てきたものがある。
それは次回に紹介としよう。
おまけ
カワサキラケットと双璧をなした国産メーカー”フタバヤ”のカバー。
これも懐かしい。